つばき – 祝、復活。活動休止を経て完成した待望のニュー・アルバム『真夜中の僕、フクロウと嘘』、そしてこの4年間について一色徳保が語る。

つばき

結成10周年を迎えた2010年。3人組バンド、つばきのボーカル&ギター、一色徳保は脳の病気が発覚し、その治療のために活動休止を発表した。その後の経過については、彼のブログで綴られているが、つばきの楽曲をカバーするプロジェクト、つばきフレンズを結成した仲間のミュージシャンたちに背中を押されながら、相当な困難のなか療養、リハビリに励み、2013年6月、ライブ活動を再開。そして、段階的に活動を発展させた彼らはレコーディングを行い、前作『夜更けの太陽』から4年ぶりの新作アルバム『真夜中の僕、フクロウと嘘』をここに完成させた。生死の極を越えて、説得力を増した作品はいかに生まれたのか? 奇跡の復活を果たした一色徳保に話を聞いた。

INTERVIEW & TEXT BY 小野田 雄


ここまでやってもらったんだから、自分が音楽をやらないっていう話はない

──下北沢CLUB QUEでのライブ活動再開は去年になるんですよね?

そう、2013年の6月30日。そこからようやくアルバムが出来ましたね。

──そもそも、活動休止前のつばきは、結成10周年を迎えて、バンドが取り巻く環境や心境が大きく変化していく、そんな状況にありましたよね。

そうですね。それまで所属していた事務所を辞めて、今のレーベル、UK.PROJECTに“CDを出させてください”とお願いしに行って。自分たちでツアーを組んで、全国を回っていこうと思っていたんですよね。そして、2010年に出したアルバム『夜更けの太陽』は、作品自体、自分がそのときにいいと思っているものをストレートに出すという意味では大きく変わっていないんですけど、事務所に所属していた頃と比べて、活動や作品がショボくなるのはイヤだったんで、そうならないようにしようと思ってました。

──しかし、2010年12月、一色さんに脳のご病気が発覚、活動休止を発表されて、音楽活動どころではなくなってしまった……。

病気がわかったときは、ツアーも決まっていたから、“ライブを断らなきゃいけない”って焦りましたね。あと、“自分は大丈夫なのかな。ヤバいな”って。その後の手術は大丈夫という確証がなく、身体の左側に麻痺が残るかもしれない、と。そして、手術した直後はそのとおり、身体が動かなかったので、CDを出して、ツアーを回って生きていこうと考えていた休止前の活動を続けるのは無理かなって思いました。でも、そんな話をしたら、悲しい顔をする姉や近しい友人がいたから、“もう、ちょっと頑張ろうかな”って思いつつ、“まだ、音楽をやらせるのか”という気持ちも一方ではありました(笑)。まぁ、でも、自分のなかでは音楽がやりたいという思いは強くありましたし、友だちたちがつばきフレンズというプロジェクトを立ち上げてくれて、それには勇気づけられたというか、“ここまでやってもらったんだから、自分が音楽をやらないっていう話はないよな”って。

──では、一色さんのなかでは、周りの人に背中を押してもらった部分も大きかったんですね。そして、退院後は治療、リハビリをしながら、2年間の歳月をかけて、と言葉では簡単に表すことができないほどの困難と向き合いながら、少しずつ音楽の勘を取り戻していったと。

そうですね。そして、一回、ライブのリハに入ってみて、いつ、ライブができそうかを探りながら、ボイス・トレーニングに通ったりして。なぜ、ボイス・トレーニングに通うようになったかというと、当初は顔の左側が動かなかったし、2年のブランクがあったから全然歌えなかったんですよ。そうやって声を取り戻していく試行錯誤をしながら、2013年6月30日の復活ライブをまずは設定して、その日に向かっていった感じですね。

──以前はできたことができないという状態からのスタートだったんですね。

手術後、はっきり言ってしまえば、前と同じように音楽をやるのは無理だと思っていましたからね。左手が使えなくなったことでギターは今も弾けないんですけど、それはまぁ、誰かに弾いてもらえばいいとして、ボーカルに専念したライブはどこか手持ちぶさただったり、違和感があるんですよ。そういう意味でマイクの前に一人立つボーカリストの格好良さはスゴイものがあるんだなと思いましたし、曲作りは退院後、すぐに始めるようになったんですけど、今までギターの弾き語りでやっていた曲作りをパソコンの打ち込みに移行したことで、最初の頃はどうやって曲作りをしたらいいのかわからなくて。しかも、退院後はどんな曲を書くんだろう? とみんなも期待しているだろうし、僕にも期待感があって、自分なりのやり方、何を書いたらいいのかを見つけるまでには時間がかかりましたね。

──曲作りの手法が変わったことで、ご自分のなかでの音楽的な変化はいかがですか?

今は打ち込みで作っているんですけど、ギターの弾き語りで曲を作っていた頃と近い感じで打ち込みができる音楽ソフトがあって、自分がイメージする曲に近いものができるんですよ。だから、今回のアルバムで変わっている部分があるとしたら、意図的に変えたものだと思いますね。

これから先、どうやって生きていこうかなという不安

──作詞に関してはいかがですか? つばきはこれまでネガティブな感情を歌うことが多かったバンドですよね。

どうなんですかね。これから先、どうやって生きていこうかなという不安は常にあって。でも、できないならできないなりに結果を出しておかないと、もやもやした気持ちが残るじゃないですか。だから、いろんなことを考えつつ、復活ライブしかり、目の前のことを一つひとつやるだけですね。復活ライブが終わって、その次のライブが決まって、そのライブをやったら、次のライブを決めて。そういった繰り返しのなかで、アルバムのリリースを決めて、メンバーと相談しながら、“この時期にレコーディングするなら曲作りしなきゃね”って。不安を感じつつも、目の前の一つひとつに向けて走るしかなかったんです。

──メンバーのおふたり、ベースの小川(博永)さんとドラムのおかもと(なおこ)さんとのやり取りは病気以前、以降で変わった点はいかがですか?

何がどれだけやれるのかは僕にしかわからないことなので、僕が“こうしたい”“ああしたい”ということに対して、思ったことがあれば、何か言うんですけど、ふたりとも別にバンドをやっていて(おかもとはTHE GIRL、Seagull Screaming Kiss Her Kiss、DQS、小川はTHE TURGUOISE)、それぞれ忙しいということもあるし、僕に気を使ってるということもあって、自由にやらせてもらってますね。

──ライブや曲作りにおいて、新しい方法を模索していくなかで、一色さんのなかでの転機となった曲や瞬間は?

曲作りで迷いがあったのは、特に歌詞の面だったんですね。病気の経験を書く書かない以前に、ふざけた曲や軽い曲を書くのも違うというか、その経験にまったく触れないのも逃げているような気がして。だから、“自分はこんな感じだったよ”“こう思っているよ”ということを素直に形にしようと。そして、自分のブログでもそういうことを書くようになったことも影響していると思うんですけど、曲で言うと、「日々の扉」を素直な気持ちで書いて、自分で歌ってみたときに、気持ちのなかで盛り上がるものがあって、さらにその後のリハでバンドで歌ってみたら、“これでいいんじゃないか”という手ごたえがあったんです。まあ、僕の歌詞の世界観にそこまで大きな変化はなかったんですけど、自分がやっていることを確認できたことが自分にとってよかったんでしょうね。それを期に曲がどんどん書けるようになりました。

──一色さんはネガティブな気持ちをポジティブに転換していく歌詞を一貫して書かれていますが、病気を経験したことで得た説得力が歌詞をより力強いものにしていますよね。

例えば、前作のアルバム・タイトルが『夜更けの太陽』だったように、昔から、一貫して、そういう気持ちを書きたかったし、歌いたかったんですよね。ただ、退院後は何も考えなかったら、どうしても重い曲になってしまうので、「始まりはいつだって」のようなアップテンポの明るい曲を書くようにしましたし、病気を経験したことで、図らずして曲の説得力が増したなと自分でも思いますね。

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