臼井ミトン MINI ALBUM「真夜中のランブル」ディスクレビュー

真夜中のランブル

MINI ALBUM

臼井ミトン

真夜中のランブル

ケンネルレコード

2014.08.06 release

<CD>


旅に求めた魔法の継承

 ジム・ケルトナーにウィル・リー、ヘンリー・バトラー。この並びにすぐさまピンとくる人は、相当のミュージック・ラバーだと思う。それほどにレジェンダリーかつオヤジ泣かせなミュージシャンが参加した、まさにいぶし銀の鳴り。生まれながらにして永遠に古びることのない生命を与えられたアルバムである。
 手元の資料によれば、2011年、日米5都市を放浪しながら1stアルバム『Singer Traveler Songwritera』を制作し、本名の白井健名義にて発表。ロスへの留学経験のある彼が、その語学力や人望を活かし、人間ひとりが運べる楽器や機材を背負っての録音旅行を敢行したという驚きのバイタリティが記されている。また、今作に自宅スタジオを提供したプロデューサーのシェルドン・ゴンバーグは、「彼から生み出される新しい作品をいつも楽しみにしている」とコメント。そこでドラムを叩いたジム・ケルトナーは、臼井のプロデュース能力に対し、「ジェフ・リン(←ザ・ビートルズにもっとも近い才能とされるプロデューサー!)のようだ」と絶賛。こうした事実だけを並べれば、‘80~90年代のCDバブル期を大股で闊歩してきた大御所セッション・プレイヤーのアルバムのようだが、なんと臼井は1984年生まれ。なおかつグラフィック・デザイナーでもあるという、真にマルチな新世代による作品なのだ。
 ところで“マルチ”というのは、本当にマルチな人間にとって、あまりいい言葉ではないように思う。“八方美人”や“風見鶏(かざみどり)”。それら賞賛なのだか揶揄なのだかわからない日本語というのが、羨望や嫉妬や“お前そろそろ就職しないのか?”の元に渦巻き、腰元の日本刀ただ1本の美学をよしとしてきた日本古来の風習ときわめて相性が悪い。しかしこのアルバムに結晶した音楽、そしてそのニュアンスは、そんな古人の前頭葉を一瞬で覚醒してしまう、“本物”の響きに溢れている。前述のミュージシャンらによるプレイはいわずもがな。アルバム冒頭の「Night Music」では、枯れたブルースに乗せ、“魔法の響きに時間を忘れて”と始め、“どっちにしたってみんな夢なんだ”と続け、“どっちにしたっていつか醒めるんだ”と締めてみせる。サウンドはビンテージだが、そこには2014年の僕らが共感できるリアリティであり本音というものが、しっかりと刻まれている。それでなくてはこの作品は成立しない。それこそ“多才な引き出しのひとつ”として完結してしまったはずだ。

『真夜中のランブル』は旅のアルバムだ。それはもちろん物質的な移動距離にしてもそうなのだが、なにより臼井の頭の中には、空想と現実がつづれ織りになることで完成した、“自分なりのアメリカ像”があり、そこからの絵葉書を眺めているような気分にさせられるという意味でも、バカボンド(漂泊)感は強い。国境近くの砂漠にはビール瓶の破片を巻き込んだタンブルウィードが寂しく転がり、モーテルの窓から零れる温かな光が、バックパッカーたちのホームシックを優しく癒す。しかし目の前を通りすぎるのは、iPhoneを持ったカウボーイ。まるで地平線が描かれた巨大な書き割りを、本物の夕陽が照らし出すかのようなフィクション/リアリティのバランスが心地よい。それは、最初からあらゆる音楽を聴くことができたYouTube世代ならではの語り口であり、早熟特有の自己内トリップ。そんな彼だからこそ、“生身の伝説”たちと渡りあい、魔法の継承を試みたのだと思う。

 あえて苦言を呈せば、先人への畏敬に溢れたオーセンティックなメロディにせよ、オータム・カラーに統一されたシンメトリックなデザインにせよ、やや破綻に欠けるところか。それは自分自身をクライアントとしたグラフィック・デザイナーならではの設計図~バランス感覚なのだと思うのだが、才人の無防備こそを凡人は見たい、というわけで、ぜひ次作には“秘境ツアー”も期待したいところである。

(祭蓮しずか)

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