テスラは泣かない。 – 今作でメジャー・デビューを果たす鹿児島在住バンド“テスラは泣かない。“とはいったいどんなバンドなのか。メンバー全員で初登場!

テスラは泣かない。

耳から離れないピアノのリフレインとダンサブルなビート、サイケデリックなギター・サウンドを武器に、爆発的なステージを展開する鹿児島発の4ピース、テスラは泣かない。がいよいよメジャー・デビュー。クラムボンのミトをプロデューサーに迎えたシングル「Lie to myself」は、彼らの個性がギュッと凝縮された、名刺代わりとして申し分ない仕上がりの一枚だ。同じようなリズム・パターンやギターの音色ばかりが聴こえてきて、どこか閉塞感も漂うバンド・シーンの中、彼らはいかにしてこのオリジナルなスタイルを築き上げたのか? これまでの歩みと、シングルに対する想いをじっくりと語ってもらった。

INTERVIEW & TEXT BY 金子厚武

 

パンク寄りのバンドで、革ジャン着て、バスドラ突き破ったりしてた

──テスラは2008年に大学の先輩・後輩だった村上くんと吉牟田くんを中心に始まってて、最初はもっと好き勝手にやりたいことをやってたそうですね。

村上 学 今みたいな踊れる感じではなくて、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(2006年公開/青山真治監督作品)っていう映画に影響されて、アングラな感じで、変なノイズを出したりとか、実験的なことをしてました(笑)。

──今の方向性に変わったのは何かきっかけがあったんですか?

村上 最初に作った自主盤(『TESLA doesn’t know how to cry.』)の中に入ってる「パルモア」という曲があるんですけど、それが4つ打ちで、ピアノをリフレインする曲なんですね。それをライブでやったときにお客さんと一緒に楽しめて、しかもほかにはない感じの曲だったんで、“これって自分たちの武器になるんじゃないか?”と思って。それからピアノのリフレインが入ってて、ディスト―ションのギターが効いてる曲っていうのがアイデンティティになった感じです。
吉牟田直和 さらに、實吉が入って、よりロック・アプローチになったかなって。
實吉祐一 僕はテスラが初めてライブをしたときに、前にやってたバンドで対バンをしていて、そのときに“面白いな”と思って。僕がやってたのはパンク寄りのバンドで、革ジャン着て、バスドラ突き破ったりしてたんですけど(笑)。

──飯野さんはどうやって加わったんですか?

飯野桃子 (村上が)サークルの先輩で、前のピアノのメンバーがやめたときに、一旦3人でやるってなったらしいんですけど、やっぱりピアノがないと……。
村上 ピアノなしのやり方が全然わかんなかったんです(笑)。

──僕がテスラを最初に聴いたときにパッと連想したのは、ピアノが軸でダンサブルっていう意味でTHE JERRY LEE PHANTOM(THE BEACHESの前身バンド)、エモーショナルでサイケデリックっていう意味でMO’SOME TONEBENDERだったんですけど、THE JERRY LEE PHANTOMは通ってなかったそうですね。

村上 全然聴いたことがなくて、鹿児島でTHE BEACHESと対バンして、ヒサシさんと仲良くなって、それからTHE JERRY LEE PHANTOMを聴いてみたら、“こういうのがやりたいんだけど”って思って(笑)。

──逆に、THE JERRY LEE PHANTOMがルーツじゃないとすれば、どうやってピアノのリフレインを軸としたスタイルができたんですか?

村上 コード進行は変わっていくんだけど、ずっと同じリフっていうのがもともと好きで、それをギターでやってるのはいっぱいあるじゃないですか? なので、それをあえてピアノでやろうっていう感じでしたね。

──昔実験的なことをやってたっていう話からすると、ミニマル・ミュージックを意識したとか?

吉牟田 僕はクラブに行ったりもしてたんで、ループの気持ちよさっていうのはあったんですけど……でも、いろいろやっていく中で、いちばん形になったからっていう感じかも。

──じゃあ、わりと自然発生的だったんですね。鍵盤のフレーズはどうやって作ってるんですか?

村上 僕が作った指一本で弾けるようなリフを飯野さんに広げてもらったり、ベース・ラインだけあって、そこに乗せてみたり、いろいろですね。なんにもないときは、とりあえず飯野さんに弾いてもらって、“それいいね!”っていうのを膨らませて、もともとリフがあるときはふたりで、飯野さんが右手を弾いて、僕が左手を弾いて、逆になってみたり、そうやって詰めていく感じです。
飯野 それも結構感覚でやっていて、どんなものになるかっていうのは、やってみるまでわからないんです。
村上 曲の構成を作って、アレンジを考える段階はかなり論理的にやってるんですけど、最初のリフを作るときは、和音を論理的に考えるわけじゃなくて、ホントに感性で、耳だけを頼りに作ってますね。

夢みたいな存在

──まずは感覚を信じてリフを作って、それを楽曲にする段階では、かなり論理的に構築してると。一方で、MO’SOME TONEBENDERはもともと好きなんですよね?

村上 みんな好きですね。僕がギターを始めたきっかけはBLANKEY JET CITYだったんですけど、MO’SOME TONEBENDERとかNUMBER GIRLも聴いていました。

──鹿児島のバンドって、福岡に対する憧れとかがあったりするのかな?(MO’SOME TONEBENDERとNUMBER GIRLは共に福岡のバンド)

村上 いや、特にそれはなくて、好きなバンドがたまたま九州だったっていうだけですね。ただ、東京でやらないと売れないみたいなことも言われるなか、自分たちの住んでるところと近いところから、あれだけ有名になるバンドが出たっていうのは、自分たちにとってある種の夢みたいな存在だったっていうのはありますね。

──今みたいにちゃんとサビがある開かれた方向性になったのは、最初の全国流通盤になった『High noble march』からなんですよね。

村上 そうですね、飯野さんが入ってからです。ただ4つ打ちで踊らせて終わってたのが、曲全体でひとつのストーリーが自然とできてきて、そうなってくるとサビが必須になって。飯野さんはそのストーリーにマッチするリフを作ってくれて、ちゃんと抑揚も表現できる人だったので、自然とそうなっていきました。

──『High noble march』は曲の展開に合わせてクリックを細かく作って録音したそうですが、昔から結構BPMは気にしていたんですか?

吉牟田 楽曲自体がライブのテンションで録るのがいちばんかっこいい曲だと思ったんで、ホントは一発で録りたかったんですけど、スケジュールの都合でできなかったんです。なので、ライブの音源を聴きながら、“ここちょっと走るから2上げよう”とか、できるだけライブに近づけようと。それ以降は、その次の作品の『Anderson』も、今回のシングルも“いっせーの”で一発録りレコーディングしてます。

──気持ちいいテンポとかもやっぱり感覚的に選んでたのかな?

吉牟田 そうですね。自分たちの感覚を信じてやってたんですけど、最近東京と鹿児島を行ったり来たりするようになって、その土地によって感覚がぶれるんですよ。東京のテンポ感、鹿児島のテンポ感っていうのがあって、結果的には視野が広がったと思います。「Lie to myself」も、鹿児島でプリプロがあがって、東京で聴いたら“速いな”って思ったんで、BPMを下げたり。

──『Anderson』からはクラムボンのミトさんがプロデュースで参加していますが、ミトさんを起用した理由はどういった部分が大きかったのですか?

村上 ピアノを生かしたサウンドにしたいけど、ロックな一面も絶対残したいっていう中で、クラムボンはピアノを中心にしながら、ライブはすごいロックじゃないですか? なので、ミトさんだったら僕らの意志を汲んでくれるんじゃないかって思ったんです。
吉牟田 ただ、前回は「アンダーソン」1曲だけのプロデュースで、お互いの人となりを知るぐらいだったというか、デモを聴いていただいて、“ここらへん何かしたら?”ぐらいの感じで、主にレコーディング当日のサウンド・プロデュースっていう感じでした。
村上 でも、今回はミトさんに鹿児島まで来ていただいて、僕らがいつも使ってるスタジオで演奏するのを見てもらって、制作から一緒にやったんです。僕らの引き出しになかったというか、怖がってやらなかったところを、“思いっきりやってしまおう”って言ってくれて、サビの頭打ちとか、いろいろなアイデアをもらって作りました。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

M-ON! MUSICの最新情報をお届けします。

この記事に関するキーワード

この記事を書いた人