石橋英子 ALBUM「car and freezer」ディスクレビュー

car and freezer

ALBUM

石橋英子

car and freezer

felicity

2014.03.12 release

<2CD>


口ずさむことは難しく、それでいて究極にポップ。

 ピアノは打楽器である。その内蔵を注視してみれば、様々な太さの硬鋼線を、鍵盤に連動したハンマーが叩くのを見ることができる。石橋英子はドラムも操るため、その意味では“打撃のエキスパート”と紹介してもいいだろう。すべての和音は鞭のような直線として放たれ、その残像は、聴く者に静かな酩酊を与える。リズムの粒は銀の散弾として五線譜を貫き、無数の穴から光の筋が零れる(それはまるで、映画「ブラッド・シンプル」のラスト・シーンのように)。もちろんこういった個性は突然に開花したものではないが、日々のスケジュールを埋める様々なセッションにより鍛えられ、煮詰められたそのプレイヤビリティが、いつしか彼女の声帯までを浸食し、リズムとメロディによる高次元でのインテグレーションを聴かせることとなった究極のポップ・アルバム……というのが本作最大の特徴であり、魅力だと思うのだ。

 肉声の楽器化ということでは『POINT』以降のCorneliusが挙げられると思うが、それを世界最高峰のスタジオ・ワーク/実験精神の賜物として結晶させる小山田圭吾に対し、石橋英子は、よりフィジカル/ナチュラルなものとして放出/凝固させる。だからこちらは、どこまでが頭脳であり、どこからが肉体であるのかの判別がつかないまま、どんどんと深みへとハマってゆくことになる。例えば冒頭の「たいくつなものがたり」。そのメロディは細かく分断され、音場を埋めるパズルのワンピースとして入念に配置されているが、意外なほどに密室感は薄い。通常のポップスのように、ともに歌詞を口ずさむことは難しいにも関わらず、その中毒性は高く、かつてない音楽体験に耳が開くのを感じる。初期のポール・マッカートニーを思わせる牧歌的情緒とプログレッシブに尖ったアレンジの密度がスリリングな「私のリトルプリンセス」、鮮烈なシンコペーションに頬を張られる「ラップ・トップ・ブルース」にしても、すべての音符から、“この位置で鳴るために生まれた”という強い意思が聴こえてくる。なにより本人による英語詞の8曲と、前野健太による日本語詞(それは意訳ですらないオリジナルなもの!)の8曲を、まったく同じ曲順のダブル・アルバムとしてパッケージするというアイデア。そこからも、言語によって異なるリズムのニュアンスや奥深さを楽しみ抜いたからこその説得力というのが感じられるのだ。

 もはやなくてはならないものとなったジム・オルークの音像。山本達久やU-zhaanといった同志たちのリズム。アルバムが進むにつれ張りつめてゆく空気は、終曲「幼い頃、遊んだ海は」での合唱に溶かされ、眩しいまでのフィナーレを迎える。

 2012年の『imitation of life』はシカゴの名レーベル=DragCityからもリリースされたが、本作の世界配給はあるのだろうか。これだけの作品、できることなら世界中に驚いてほしいと切に願う。

(祭蓮しずか)

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