hotspring – 温泉で有名な大分県別府出身のhotspringが新作を発表!ロックンロールを愛する男、イノクチ(vo、g)にインタビュー!

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 今どきの若い奴らに、こんなロックンロール・バカがいた! そんな痛快なエクスタシーを大いに感じさせてくれるバンド、hotspringが2ndアルバム『THREE MINUTES GOLD』をリリースする。問答無用、ストレートなビートのカッコ良さと、その中でロールする感覚を堪能できる一枚だ。
浅井健一のSEXY STONES RECORDS傘下のFICK FILLY LABELに所属する彼らは大分県別府市の出身。そう、“温泉”というバンド名はその土地ゆえにネーミングされたのだ。初登場となる今回はバンドの成り立ちからここまでの道のりと、新作までのエピソードや歌の世界に横たわるものを探るべく、ボーカル&ギターのイノクチタカヒロに話を聞いた。ステージではぶっきらぼうそうにも見える彼だが、対面して会話をすると、柔らかい物腰で朗らかに笑う、素敵な青年だった。

INTERVIEW & TEXT BY 青木優

 

掘り下げていくうちに、どんどん昔のロックが好きになっちゃった

──hotspringの結成は2007年ですか?

……かな? hotspringって名前では中3ぐらいからやってるんですけど、ちょっとメンバーが替わったりして、今のメンバーで始めたのがたぶんそれぐらいなのかな。ドラム以外の前の3人はもう10年ぐらい、ずっと一緒にやってるんですけど。

──じゃあ始まりは学校の友だち同士なんですね。

俺とギターの三浦くん(三浦章宏/g、cho)は幼稚園からずっと一緒で、幼なじみみたいな感じで。ベースの伊藤(伊藤コウスケ/b、cho)は一個下の後輩で、前のドラムがバスケ部同士で連れてきたっていう。で、「文化祭に出るから」つって、俺以外の3人でバンドを結成してて、伊藤がベース・ボーカルで、ハイスタ(Hi-STANDARD)のコピーやってたんですよ。それで俺は三浦と仲が良かったからスタジオによく見学に行ってたんですけど、そしたら伊藤が「俺はベースだけやりたい。俺はレッド・ホット・チリ・ペッパーズが好きなんだ。歌いながらそんなことはできない!」って。それで「歌っていいよ」って言われて、そっからボーカリストになりました(笑)。

──(笑)あなたは、それまでは音楽は?

歌は全然歌ったことなかったです。で、ギターは中1のときに三浦と「ギター始めようぜ」つって買ったはいいけど、俺はあんまやってなくて。その間三浦は学校行ってなかったんで(笑)、ギターがすごいうまくなってて。それで久しぶりに会ったらあいつもいろいろロックを聴くようになってて、ふたりで情報収集してたんですけど。それでひょんなことからバンドに入れてもらった感じです。だから俺はほんとはギタリストになりたかったんですけど、でもギターがうまくないし(笑)、しょうがないかと思って。

──どんな音楽にハマってたんですか?

俺は中2ぐらいからミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)がすごい好きだったんです。ふたつ上の兄貴の影響で、いろいろ……レディオヘッドとか、当時のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかレッチリ、ニルヴァーナとか、まあ洋楽はそういうの聴いてて。で、日本ではミッシェルが好きでした。それでミッシェルの影響で高校生ぐらいからパンクとか、日本だとTHE ROOSTERSとかが好きになって。そういうのを掘り下げていくうちに、どんどん昔のロックが好きになっちゃった感じですね。

ロックンロールの曲ばっかりをオリジナルでやってました

──なるほど、そうですか。話戻りますけど、さっきの文化祭で誘われて歌って、どんな気持ちでした?

いや……最高な感じでした(笑)。

──うんうん。ハイスタのコピーを?

いや、レッチリ。「バイ・ザ・ウェイ」と「アラウンド・ザ・ワールド」でした。で、俺はもう一個、しょうがなくヤンキーの友だちとやってたバンドではギター・ボーカルで、そっちではミッシェルの「GT400」やりましたね。

──学祭バンドっぽいですね。そのあとは、だいぶコアなロックンロールのほうに寄っていったわけですか。

そうですね。hotspringは文化祭でレッチリやり終わってからはもう「オリジナル作ろうよ」って俺が言って、ミクスチャーみたいな要素は全然なくなっちゃいましたね。で、もう俺が「こういうのがいいんだ!」って、いろいろみんなに聴かせて、ロックンロールの曲ばっかりをオリジナルでやってました。

──そうして中学で結成したバンドが、高校でも活動を続けてたと。

はい、そうですね。みんな同じ高校に行って。で、ドラムだけ頭良くて、違う高校に行ったんですよ。それで辞めちゃって(笑)、3人はずっと一緒で。それで月に何回かライブしてましたね。

──そうですか、わかりました。とにかく、年齢のわりには渋めというか、ビンテージなロックをやってるなと思ってたんですよ。

あ、そうです。昔、雑誌とか読んでて、チバ(ユウスケ)さんの好きなレコードとか知って、お小遣いもらったらタワレコに行って探して買って、みたいな。で、そのライナー読むと、またザ・クラッシュが好きな音楽が書いてあったり、ラモーンズが影響受けたものが書いてあったりして、それをマネして聴いて、って感じでしたね。

──ルーツをさかのぼっていったんですね。そういう音楽やってて、地元の別府のバンドの中ではどんな感じだったんですか?

いや、すごい浮いてましたね。そのときってミクスチャー・バンドと青春パンクばっかりで、自分らみたいなバンドは全然いなくて。

──近い音楽性のバンドはいなかったと。

ずっといなかったですね。でも高校卒業してから、Droogって後輩のバンドと知り合ったんですよ。初めて自分たちと近いような感じだったから、すごい仲良くなって。そっから何年か、別府はロックンロール・バンドばっかりになっちゃいましたね。

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