コブクロ – 約4年4ヵ月ぶりのアルバム『One Song From Two Hearts』をリリース。 2012年夏の活動復帰後から現在に至る彼らの心境の変化に迫る。

コブクロ

実に4年4ヵ月ぶりというオリジナル・アルバムを発売するコブクロ。収録曲のうちの10曲が、ドラマや映画の主題歌、あるいはテーマ・ソングなどという、もはやベスト・アルバムのような『One Song From Two Hearts』がそれである。だが、注目すべきは、このモンスター・アルバムのリリース前には、コブクロ史上初となる休養期間があったということだ。雌伏のとき、ふたりは何を思い、どう行動していたのか? そして、リリース発売前のタイミングで開催されたストリート・ライブにも素朴な“?”が浮かぶ。なぜ、久しぶりに路上に立って歌おうと思ったのか? ストレートな問いかけに、ふたりもまたまっすぐな想いを語り始めた。

INTERVIEW & TEXT BY 唐澤和也

 

音楽のプロ=24時間音楽のことだけを考え、創作している人と定義するなら、僕はプロフェッショナルではないのだと思います

──まずは、少し変わった角度の質問から始めさせてください。コブクロは、ミュージシャンとしてプロフェッショナルなのか、それともアマチュアであり続けたいのか。どうでしょう?

黒田俊介 僕は、一時期よりはそのことについて考えなくなりました。何がプロで何がアマチュアかは、もう問題じゃないというか。ある時期は、プロなんだからライブのひとつひとつの出来よりも、ツアー・トータルで考えようとしたり、逆に、アマチュアのように先を見ずに一戦必勝がプロにも必要なのではと考えていた。でも、今、まず思うのは、勝ち負けじゃない部分に興味があるというか。
小渕健太郎 僕は、少なくとも音楽ビジネスという言葉からは、できるだけかけ離れたいと思うようになってきました。いかに、最小限の音楽の塊みたいなものになれるか。しかも、それは音楽に触れているときだけで、そこから離れたらひとりの真人間でありたいとも。もし、音楽のプロ=24時間音楽のことだけを考え、創作している人と定義するなら、僕はプロフェッショナルではないのだと思います。でも、コブクロって元々がそういうふたりが始めたものですからね。

──そういうふたりとは?

小渕 黒田と出会った頃、彼は旅人でした。僕はサラリーマンでした。ふたりとも歌が大好きでした。そんなふたりだったのに、黒田が「一緒にやってみないか?」と誘ってくれたおかげで、コブクロが生まれたんです。そのとき僕は「会社は絶対辞められない。1週間に1回しかストリートで歌えない。それでもいい?」と答えたんですけど、黒田は「それでもいい。その代わり、3年間だけ本気でやりたい」と言ってくれたんですよ。今、僕の感覚は、“音楽だけやります!”じゃない。音楽から離れた時間は、ひとりの真人間でありたい。だから、結成当初のコブクロに今、すごく近い感じがするんですよ。

“厳しいなぁ、やっぱり路上は”というのが正直な感想です

──では、10月のストリート・ライブはやってみてどうでしたか? 完全シークレットでの同ライブは、大阪を皮切りに広島、名古屋、東京と全国4ヵ所で開催されました。一発目の大阪を観たんですけど、いちばん強く感じたのは“ストリート・ライブ=アマチュア=でも甘くない!”ということでした。観客の背中から強い風が吹いて歌声はかき消されるし、バカ正直に本当にシークレットでやるものだから、気づかずに歩き去る人も結構いて。

2人 ははははははは!
黒田 そうでしょ? ストリートはほんまにアウェーなんです。
小渕 僕らは路上=道場と例えることがあるんですけど、今回で言えば、道場のある街によって反応が違ったんですよね。それが面白いし、厳しくて。

──で、久しぶりの路上は、どうでしたか?

黒田 思っていたよりも、はるかに得るものがありましたね。それをね、インタビューなんだから言葉にして表さないといけないんですけど、僕は、まだまとまっていないんで……小渕さんからどうぞ(笑)。
小渕 うん。オウン・ゴール並みの危険なパスをありがとう(笑)。……えっとですね……“得たもの”というよりは、“思い出したもの”なのかもしれないですけど、“厳しいなぁ、やっぱり路上は”というのが正直な感想です。本当は“4ヵ所全部楽しかったです”と言えたら良かったんですけど、最後の東京は大コケと言っていいほどの反応だったので(苦笑)。
黒田 ズルっズルっにスベりましたよ、東京は(笑)。
小渕 当たり前の話なんですけど、普段のライブと違って、ストリートだと自分で弦を張り替えるんですよね。自分で1300円の弦を買って、張り替えて、路上に立つ。メジャー・デビューする前は当たり前だったことを久しぶりにやって思ったのは、“俺と黒田とギターさえあれば、音楽を奏でられるんだ”ということでした。その心境に立ち戻れたのは、いちばん大きな思い出したものかもしれない。
黒田 そうそう。その身軽感はありましたね。

まとわりついていたものが全部取れて、なんとも言えん清々しさがあって

──ストリート・ライブはアルバムの制作が終わってからでしたが、新作『One Song From Two Hearts』でも、その身軽感はあったのですか?

小渕 いえ、その頃は身軽感というよりも……なんだろう……衝動という言葉のほうがしっくりくるかもしれないです。

──衝動とは?

小渕 料理人が自分で作った料理を“うわ、食べたい!”と思ったとしたら、その料理ってまず間違いないじゃないですか。それに近い感覚というか、今回は、“うわ、歌いたい!”というメロディを作ることから始めまして。実は、9日間で18曲も作れた瞬間があったんです。もちろん、メロディだけで歌詞は乗っかっていない原型みたいな18曲だったんですけど、その全部が“うわ、歌いたい!”というものばかりで。

──4年4ヵ月ぶりの新作が生まれるまでには、約1年間の休養期間がありました。9日間で18曲という信じがたいペースは、休んだことも関係していたのでしょうか?

小渕 あるでしょうね、完全に。そもそも休んでいる間は、1曲も作りませんでしたから。作る意味がないっていうんですかね。黒田に聴かせるという理由がなかったら、僕、本当に曲を作らない男なんですよ。ものすごいサボるんです(笑)。

──その頃一方、黒田さんの休養期間中の過ごし方は?

黒田 いちばん平均的な1日は、昨日の晩にセットしたパンが朝には出来てて、そのパンを取り出してちょっと厚めに切ったものをトースターで2枚焼いて、コーヒを飲む。そのあと、ゴルフの打ちっぱなしに行って、夕方まで500球ぐらい打つ。それで家に帰って、晩飯を食べて寝るって感じでした。

──古典落語のダメな金持ちの息子みたいな1日ですね。

黒田 ははははは! ほんと、そんな感じでした。1年間、1ミリも歌いませんでしたから。ただ、そんな放蕩息子っぷりな1年を経て、活動を再開する頃には、気持ちの変化があったんです。歌うということに対して、まとわりついていたものが全部取れて、そりゃあもうなんとも言えん清々しさがあって。

──まとわりついていたものとは?

黒田 簡単に言ってしまうと、“もっとうまく歌いたい”という野心です。休養前までの僕は、“ここは低音を鳴らして歌いたい”とか“マイクのセッティングはこうしてください”とか、とにかくチェック項目が多かった。いろいろなことに対してカリカリしてたし、ピリピリしてた。もちろん、そうすることのメリットもあって、鬼気迫る歌が録れてはいたと思うんです。やっぱり、そこだけにすべてを賭ける良さというのはあるし、野心を抱くことが必ずしもダメなわけじゃない。でも、休養中の僕は、なんか違うんじゃないか、歌にはもっと本質があるんじゃないか、そんな違和感を感じていて……そうそう、ストリート・ライブで得たものが今、言葉になりました。
小渕 遅っ!(笑)でも気になるなぁ。
黒田 大阪でやったときは、とにかく大きな声を出そうと。ストリートでは繊細なものはいっさい通用しないから。そのうえで、応援団のようにはならないよう、上と下をフワッと伸ばしたいと、まだまだチェック項目があったんですね。アルバム表題曲の「One Song From Two Hearts」も路上で歌ったんですけど、出だしのキーがちょっと低いので抜けにくいからあぁしようか、こうしようとかね。それで、大阪の次の広島で“あっ”と思ったんですけど、そんなチェック項目なんてどうでもよくなった瞬間があって。そのときって、お客さんもなんとも言えん空気感になってくれていたんです。それまでは、写メをバシャバシャと撮っていたのに、ジーッと聴き入ってくれて。たぶんですけど、歌がちゃんと届いていた。あぁ、俺はまた勘違いをするところだったと、その広島の路上が教えてくれて。まあ、厄介なんですけどね、“もっとうまく歌いたい”という野心は。休養期間が終わって、活動が再開して、レコーディングのときなんていうのは、そういう虚栄心から遠ざかれていたのに、いざお客さんを前にするとやっぱり首をもたげてしまっていたとも言えるわけで。

活動再開後にめざしたのも、黒田とふたりで爆発するということ

──なるほど。小渕さんは、ありましたか? 休養中にまとわりついたものがはがれ落ちるような感覚は?

小渕 あるとしたら、僕の場合は曲作りだったと思います。いいものを作ろう、最高のものを作ろう。そんな想いって、どこも間違ってはいないじゃないですか? でも、休養中の僕は、“いちばん最高のものを作ろうという意識が、逆に最高のものを遠ざけるのではないか?“と自問自答する時期があったんです。というのも、休養して最初の半年間は、コブクロの映像や音源を見聞きできなかった。自分が映像や音源のようには歌えない時期だったので、つらかったから。でも、徐々にコブクロのこれまでを見聞きできるようになって感じたのは、“これ、本当に俺?”だったんです。どこか他人目線というか、自分自身がコブクロじゃない感覚があって、“このふたり、爆発してるなぁ”と妙な感心をしてしまって(笑)。活動再開後にめざしたのも、黒田とふたりで爆発するということで。だからこそ、9日間で18曲もの原石が作れたと思うんですよね。

──ライブの爆発は想像できますが、レコーディングにも爆発ってあるものでしょうか?

小渕 ありますね。主に黒田が。
黒田 ありますね。主に寝るっていう(笑)。

──寝る? 爆発なのに寝る?

黒田 歌い終わって、小渕の「OK!」を聞くと、もう落ちるように寝ていました(笑)。よく言うと集中力なんですけど、僕がいちばん意識したのは、“いかに小渕が作った曲の主人公になりきるか?”だったんですね。

──さきほどの“もっとうまく歌いたい”的な虚栄心ではなく?

黒田 そうです、そうです。例えば、「今、咲き誇る花たちよ」のときなんて、それだけに集中して歌ったあと、手のひらが氷のように冷たくなってたんですよ。ほんの4〜5分で極寒のように凍えていて。ライブでは似たようなことがたまにあったんですけど、歌入れでこうなったのは初めてのことで……原因がわからないんで、医者に調べてほしいんですけど(笑)。
小渕 (笑)。今回の歌入れにおける黒田の爆発は、本当にすごかったです。ただ、僕の立場としては、“OK!”は出したものの、どうしても録り直したい2〜3の言葉というのはやっぱりあるもので。そんなときに黒田を起こすと「……うん。わかった」とは言ってくれるんですけど、その目が、もはやお地蔵さんみたいで(笑)。“すまん! 次は録り直しを頼まなくていいようにするから!”と心の中で謝っていましたね。
黒田 内心、思ってたからね。“さっきOKって言うてくれたやん!”って。
2人 ははははははは!

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