斉藤和義 – 今夏、デビュー20周年を迎え、開催されたアニバーサリー・ライブ。そこから見えてくる“歌うたい”斉藤和義の音楽ヒストリー。

斉藤和義

1993年8月25日にシングル「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューし、今夏、20周年を迎えた斉藤和義が、アニバーサリー・ライブ“20th Anniversary Live 1993-2013“20<21”〜これからもヨロチクビ〜”を開催した。“歌うたい”として歌い続ける彼の20年という音楽人生を濃縮した全30曲が披露された、9月1日のさいたまスーパーアリーナでの渾身のライブ。このパフォーマンスを踏まえて、アーティスト・斉藤和義のこれまでを紐解く。

TEXT BY 長谷川誠

 

20年の歴史を感じさせると同時に、どの曲も2013年の今、リアルに響く

「すごいね。オレって意外と人気あるんだね」

スタンドの上の席までぎっちり満員、約1万7千人の観客を見わたして、斉藤和義がそう言うと、客席から笑いと拍手が起こった。
デビュー20年、着実に音楽活動を続けてきて、じわじわと認知が広がって、いつのまにか、彼はさいたまスーパーアリーナを満員にする動員力を備えていた。こんなアーティストは珍しい。こんな支持のされ方は見たことがない。瞬発力や勢いによってではなくて、素晴らしい曲の数々を長期間にわたって継続して作り続けてきたことによって、これだけ多くの支持を得るようになったということだろう。
そんな彼の20年間の音楽活動を凝縮したような濃密な3時間半。本編22曲、アンコール8曲、合計30曲。ここではそのライブの模様を踏まえながら、彼が生みだした名曲の数々にスポットを当てて、デビューから今までの軌跡を振り返ってみたい。

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つまりソング・ライターとしてのすごさ。シンガーとしてのすごさ

この日のさいたまスーパーアリーナでまず感じたのは20年の歴史を感じさせる構成であると同時に、どの曲も2013年の今、リアルに響いてきたということだ。聴き馴染んだ曲であっても、懐かしさよりも、みずみずしさが伝わってくる。数え切れないくらいライブで観てきた曲であっても、ガツンと衝撃を受ける。最も象徴的だったのは1993年リリースのデビュー・シングル「僕の見たビートルズはTVの中」だ。この曲はラブ・ソングであると同時に、湾岸戦争が起こった当時の彼の想いや時代の空気が反映された作品である。ライブの8曲目に演奏されたのだが、彼は前半のハイライトとも言えるような集中力溢れる歌、ハープ、ギターを展開した。スクリーンには戦車やきのこ雲や原子力発電所の映像が映し出されていて、歌そのものも原発事故やシリア情勢が混沌としている今の時代ともしっかりシンクロしていると感じた。このことはふたつのことを表している。彼が時代が流れても色褪せない曲を作っているということ。つまりソング・ライターとしてのすごさ。そしてまた曲の中に新しい息吹きを入れていけるということ。つまりシンガーとしてのすごさ。デビュー・シングルでいきなりこれだけの曲を作ってしまうところには、彼のミュージシャンとしての非凡さと志の高さが表れている。

本能や衝動、本音も包み隠さず歌っているからこそ、説得力がある

1994年2月にリリースされた3枚目のシングル「君の顔が好きだ」はアンコールの5曲目に演奏された。ピアノ・ポップ調のサウンドが魅力的なこの曲も彼の代表的なラブ・ソングのひとつ。この曲、ステージでは「君の顔が好きだ」だけじゃなくて、“君の腰が好きだ”“君の乳首が好きだ”などなど、歌詞を変えて歌われていて、エロ度がぐっと増して、ライブならではの人気曲となっている。この日も彼のピアノの演奏から始まって、エロくて、なおかつ感動的なラブ・ソングとなった。本能や衝動、本音も包み隠さず歌っているからこそ、説得力がある。グッときてしまう。こんな歌を作れるのは才能はもちろんのこと、彼の飾らない人間性ゆえだろう。ライブという場で、音楽性だけでなく、率直で純朴な人間性までもがはっきり伝わってくる。

時が経つほどに広まっていくところにも彼の曲の特徴がある

この日、シングル曲およびカップリング曲が22曲演奏された。でもこの20年間で彼は42枚のシングルと15枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。なので、演奏されなかった代表曲や名曲がまだまだたくさんある。だが彼は実はデビューしてから15年間、いわゆる“ヒット曲”を出していない。オリコンのヒット・チャートで10位内に初めて入ったのは2008年リリースの34枚目のシングル、「やぁ 無情」だった。これはかなり意外な事実だ。彼はヒットはしてなくても、多くの人が知っている名曲をたくさん出してきている。
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彼の音楽が広く知られるようになったのは、1994年6月にリリースされたシングル「歩いて帰ろう」によってだった。だが、発表当時、ヒットしたわけではない。オリコンでも最高順位は60位。この曲が一躍有名となったのは人気テレビ番組「ポンキッキーズ」のオープニング・テーマとなったことによってだった。その後、CM曲に使われたり、他のミュージシャンがカバーしたりして、認知が広がっていった。楽曲が発表されて、時が経って忘れられていくのではなくて、時が経つほどに広まっていくところにも彼の曲の特徴がある。つまりそれだけ楽曲の生命力が強いということ。アンコールの最後を締めたのはこの「歩いて帰ろう」だった。もともとの歌詞の内容は決して明るいものではない。歌の主人公はイヤなことがあって、もやもやしている。ネガティブな気分を振り払うために、歩いて帰ろうとしている。だがライブで聴くと、曲の印象が一変する。多くの人々に共有されることによって、楽しい楽しい歌となる。さいたまスーパーアリーナでは斉藤がギター・ヒーローばりに荒々しいギター・ソロを披露して、そのまま歪んだギターでさわりのコードをかき鳴らすという始まり方。会場内は待ってましたという大歓声と拍手。1万7千人がともに歌い、ハンドクラップして、会場内にハッピーな空気が充満した。さすがに埼玉からは歩いて帰れないが、最寄り駅まで歩きながら、ついこの歌を口ずさみたくなってしまった。

愛の歌であると同時に、歌うということの本質に肉迫していく

ヒットはしていないけれど、みんなが知っている名曲シリーズのひとつは1997年11月にリリースされた「歌うたいのバラッド」。オリコンのチャートで最高順位97位だから、まったくヒットしていない。でありながら、今や名曲として多くの人々に認知されているだけでなく、多くの人々に歌われている。Bank Band、奥田民生など、様々なミュージシャンもカバーしている。この歌が演奏されたのはライブのほぼ中盤の15曲目。愛の歌であると同時に、歌うということの本質に肉迫していく歌。歌い手ならば、うたいたくなる歌。でも軽い気持ちでうたえる歌ではない。全身全霊を込めなければ、この曲の歌詞の「愛してる」という言葉は説得力を持たない。つまりこれは歌い手にとっては試金石のような楽曲でもあるのだ。彼の歌声は実にソウルフルだった。最後は彼のギター・ソロが続く。この瞬間、この歌は“ギター弾きのバラッド”となっていた。言葉ではなく、ギターの音色によっても、彼は“愛している”という想いを表現していた。

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