石崎ひゅーい – 独特な音楽世界、奇特な存在感を持った、今注目のシンガー・ソングライターが登場。1stフル・アルバム『独立前夜』完成後——。

石崎ひゅーい

昨年7月にミニ・アルバム『第三惑星交響曲』でメジャー・デビューを果たした、石崎ひゅーい。彼の歌は、時に不器用なまでに純粋に、時に過激に、“石崎ひゅーい”という人間を、そして、人間という生き物が持つ本質を赤裸々に見せつけ、聴き手の中に強烈な印象を残す。
WHAT’s IN? WEB初登場の石崎ひゅーいに、デビュー2年目に突入する直前にリリースする1stフル・アルバム『独立前夜』のこと、音楽への想い、そして、自身のルーツを聞いた。

INTERVIEW & TEXT BY 松浦靖恵

母親の人柄までもが、僕が表現するものの中で重要なアイデンティティ

──とても珍しいお名前なので、“本名なんですか?”とか“名前の由来は?”とか、子供の頃からそういう質問は何度もされ続けてきたんじゃないか、と。

ええ。三千万回くらいはされてますね(笑)。母親がデヴィッド・ボウイのファンで、彼の息子がゾーイという名前だったから、ひゅーいと名付けたっていうのが僕の名前の由来なんですけど、“ゾーイ”がどう変換されて“ひゅーい”になったのかは、いまだに謎のまんまなんですよ。

──デヴィッド・ボウイ好きということは、お母様は洋楽が好きだったんですか?

はい。デヴィッド・ボウイ、ザ・ビートルズ、トム・ウェイツなど、家の中にはいつも音楽が流れていました。小中高時代の僕は母親が聴いていた音楽には興味がなかったので、家の中で流れていた曲が誰の曲だったのかを知ったのは、ずいぶん大人になってからなんです。ただ、耳にした曲が誰の曲なのか知らなくても、“あれ? この曲って家でいつも流れていた曲だよな”って思い出したり、ちょっと耳にしただけでも、その曲を最初から最後まで知っていたり。そういうことはいまだによくありますね。

──石崎ひゅーいの身体の中には、音楽がいつのまにか沁み込んでいたんですね。きっとそういうものこそが、まさにルーツと言えるものなのかも。

僕もそう思います。特に自分が音楽を作るようになってからは、そういうDNA的なものをすごく感じるようになりました。自分の中に沁み込んでいたものが、無意識のうちにポロッと出てくることが多いし、母親が好きだったものは、音楽以外の芸術的なものや言葉に関するもの……とにかく、母親の人柄までもが、僕が表現するものの中でとても重要なアイデンティティになっている。だから、僕のルーツは、かあちゃんなんだなって思います。

──自らの意思で音楽をやり始めたのはいつ頃で、何がきっかけだったんですか?

母親は僕に俳優になってほしかったらしくて、僕を劇団に入れたんです。自分の意思で入ったところではなかったけれど、お芝居をするのは楽しかったし、自分は表現することが好きなんだなってことを、お芝居をすることでわかったのは良かったと思います。でも、中3のとき、友達から“Hi-STANDARDのコピー・バンドで歌ってみない?”って誘われて、このままお芝居を続けるのか、それとも音楽をやるのかっていう二択をするときに、お芝居よりもバンドをやっているほうが女の子にチヤホヤされていいなっていう、そんな不純な理由で音楽を選んじゃったという(苦笑)。

──いえいえ、女の子にモテたいという理由でバンドを始めちゃった人たちは、世の中にたくさんいますから(笑)。中3のときに誘われたそのバンドでは、詞や曲を書いていたんですか?

ほかのメンバーが詞曲を書いていたので、僕は歌うだけでした。そのバンドは、大学に進学してもずっと同じメンバーで続いていたんだけど、徐々に自分の中で歌詞や曲を作りたい、自分が作った曲を、自分が歌うバンドを作りたいと思うようになって、大学1年のときに新しいバンドを作ったことが、自分から詞や曲を発信する音楽の最初の一歩でした。

──ずっとバンドをやっているなかで、いつかはメジャー・デビューをしたいという想いはあったんですか?

高みをめざしてはいたんですけど、どうにもこうにもうまくいかない時期が続いたときに、僕らのバンドのライブを須藤晃さん(音楽プロデューサー)が観に来てくださったんです。須藤さんとの出会いは、僕の人生を大きく変えてくれましたね。あるとき、須藤さんから“このままバンドを続けるのか、それともひとりでやるのか”って聞かれたときに、ここで僕がひとりで活動を始める決断をするってことは、バンドが解散するってことになってしまうだろうけど、何かを変えるには今しかないんだと思って、26歳のときに僕はひとりで音楽をやることを決めました。ずっと一緒にバンドをやってきたメンバーとは何年も同じ人生を歩いてきたので、結局、そのメンバーを裏切ることになってしまったけれど、だからこそ、売れてやろうって思ったし、これからどんなことが起きても、音楽を続けていくんだっていう想いがより強くなりましたね。

たぶん僕は絶対的に自分の音楽を大事にしたいんだと思います

──何を始めるにしても、遅すぎるということはないけれど、とはいえ、ソロに転向したのは26歳のとき。焦りはなかったですか?

まったくなかったと言えば嘘になっちゃうけど、元々、僕はマイペースな性格だし、須藤さんも僕のことをよく理解してくれて、“曲なんて、出来ないとき出来ないんだから、ゆっくりやろうよ”って言ってくださったので、僕は自分のペースで作り続けよう、と。なんかね、曲とか詞って、本当のところはそういうもんだと思うんですよ。

──そういうもの?

ええ。無理して作るものじゃないっていうか。僕の中には売れたいという気持ちはあるけれど、音楽は純粋なもの、人間らしいものを作りたいっていう想いがあるし、それが僕のやるべきことだと思っていて。いらないものを排除して純粋なものを作り続けるのって、今はやりにくい世の中だと思うので、僕は音楽を作るうえで、そういうところとずっと戦っていくんだろうなって思います。2ヵ月間で全都道府県50本のライブをやったときも、観に来てくれるお客さんはどんどん増えているのに、なぜか自分が個になった気がして、寂しくなってしまって。でも、そう感じることは僕にとっては決して悪いことではないと思っているんです。僕はどんどん個に向かっていかないと、純粋な音楽を作れなくなっちゃうんだろうなって思うから。たぶん僕は絶対的に自分の音楽を大事にしたいんだと思います。

僕、キャンペーン・アーティストになりたいって言ってるんです

ww_tokusyu_ishizaki04

──デビューしてから、何がいちばん変化しましたか?

若干、僕の日常が忙しくなりました(笑)。あと、キャンペーンが好きになりましたね(笑)。だって、出逢う人たちはみんな僕の音楽を聴いてくれているし、誉めてくれるし、おいしいものは食べられるし。キャンペーンって、最高だと思いませんか? だから、僕、キャンペーン・アーティストになりたいってスタッフに言ってるんですよ(笑)。あと、50本ライブをやったときは、体脂肪が6パーセントになっちゃって、あのときは身体が細マッチョになりました。僕、ライブをやるとアスリートみたいな身体になっちゃうし、ライブをしないと、なぜか肌の調子や身体の具合が悪くなっちゃうんですよ(笑)。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

M-ON! MUSICの最新情報をお届けします。

この記事に関するキーワード

この記事を書いた人