GLAYメンバーが語る“GLAY EXPO”の思い出[後編]

10年振りに開催される“GLAY EXPO”。メンバーがこれまでの思い出を話した

過去3回開催され、今年4回目を迎えることとなった“GLAY EXPO”。GLAYの歴史に欠かせない存在となったこの一大イベントについて、4人それぞれの印象的な思い出、そして今年のEXPOへの思いを音楽誌『WHAT’s IN?』に話した。後編はTAKUROとJIROが登場!

[前編]はコチラ

[TAKURO]
2001年はお客さんに来てもらうために条例を変えた

1999年(20万人動員した幕張)は何も考えないで「人がたくさんいてうれしいな」ぐらいだったから、実はそれほど自分史のなかで大きいものではないかな。GLAY史のなかでは非常に大きいんだろうけど。2001年は「GLAYが北九州でオールナイト・ライブやります」ってなったけど、北九州の条例で18歳以下は夜に外出ちゃいけないことになってる。当時のGLAYで18歳以下のお客さんを切る!? ありえねえな、ってなって、八方手を尽くして条例を変えて(笑)。なんか大変だったね。それに当時は小泉政権で、日本がちょっと強気だったんだね、アジア各国に対して。

そんななかで8月頭から中旬にかけてアジアで記者会見とか。しかも8月15日には首相が靖国参拝してたからさ。その日俺、韓国で。マジかーってなって。ずっと新聞読んで、何言われても大丈夫なように準備してた(苦笑)。だから忘れもしない、その韓国で現地のメディアに「紫雨林といっしょにやります」っていうのを発表した夜に俺、号泣したもんね。張りつめていたものが決壊したね。

[JIRO]
2004年のエンディングは珍しく泣いてしまった

今までのEXPOでの印象的なシーンは、やっぱり2004年のユニバーサル・スタジオ・ジャパンでのEXPOが終わったあと、エンディングのシーンですかね。あのときのエンディングは客席のほうの(サブ)ステージで終わって、そこから歩いてメイン・ステージに戻るという演出だったんですけど、そのときに僕は珍しく泣いてしまって。あれは「ああ、終わった」っていう安心感と、あと「スタッフにいろいろ無理難題を言って迷惑かけたな」みたいなことが理由ですね。2004年に関しては、僕らのライブにかける思いのほうが、もしかしたらスタッフの思いに勝っていたのかもしれないっていうぐらい、気持ちが強かったんで。いろいろなことをもっとこうしたい、もっとああしたいっていう欲求が止まらなかったんですね。だから2004年のEXPO以降は、てんこ盛りの演出みたいなのを排除して、自分たちにできるところを追求していこうっていって今に至るんですけどね。

10年ぶりにEXPOを開催するGLAY。「東北の皆さんを笑顔にしたい!」というメンバーの想いから、開催場所を東北・ひとめぼれスタジアム宮城にしたとのこと。今年デビュー20周年を迎えるGLAYが東北の地でどんなステージを繰り広げるのか、期待大だ!

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