THE YELLOW MONKEY大復活!今あらためて知る、彼らの3つの魅力

ついに、時が来た。THE YELLOW MONKEY、復活! 年明けの1月4日から、公式サイトのrepusmyt.comを発端に巻き起こった熱狂は、8日を迎えた今──そう、活動休止の区切りとなった2001年の東京ドーム公演から丸15年の日だ──、最高潮に達していることだろう。

そんな昔に歩みを止めてしまったはずのバンドが、なぜこんなにも待ち望まれるほど愛されているのか? その魅力について語ろうと思う。

 

魅力[1]:激しくも妖しいロックサウンド

通称で「イエモン」と呼ばれることも多い彼らの結成は1988年のこと。そして1992年にメジャーデビューし、90年代の日本のロックシーンを牽引する存在になっていった。

“黄色いサル”とは、昭和時代の大戦中にアジア圏以外の外国人から日本人(主に兵士)に向けられた蔑称だ。そんな言葉をバンド名に掲げたのには、逆説的なニュアンスが含まれている。

イエモンは洋楽ロックをルーツにしながら、それと同時に日本ならではの表現に意識的に向かった。例えばメロディであり、歌詞であり、テーマ性である。つまり彼らには、欧米からの影響を強く受けながら、この細長い島国特有の文化や慣習の中で生きる現代の日本人ゆえのロック表現を指向する意志が結成時からあったのだ。

サウンドのベースはグラムロック、そしてハードロック。ここに昭和の歌謡曲を想起させるクセのあるメロディが日本語で歌われることで、独自の世界が作り上げられた。

ボーカルは、“静岡のモトリー・クルー”と呼ばれたURGH POLICEというバンドでベースを弾いていたLOVINこと吉井和哉。

ギターのEMMA(菊地英昭)とドラムスのANNIE(菊地英二)の兄弟は元KILLER MAY、ベーシストのHEESEY(廣瀬洋一)は元MURBASと、全員にバンド歴があり、それゆえのパワフルなライブは最高だった。

ただ、僕個人は、メジャーデビュー直後にライブを初体験した際、このバンドののちの大成功までは予見できなかった。というのは、初期の彼らはアングラ的でうしろ暗い、異様な雰囲気が濃かったからだ。

当時の音楽シーンは能天気なバンドブームからオシャレな渋谷系に移る時代で、かたやX(現X JAPAN)を筆頭としたヴィジュアル系が隆盛を誇っていたが、イエモンはそのいずれとも一線を画していた。また、世界レベルではグランジ・ロックの嵐が吹き荒れた頃で、イエモンの音楽の世界はどのシーンからも浮いていたのである。

しかし彼らは作を追うごとにバンドをスケールアップさせ、表現をオープンにしていった。現在、カラオケでも親しまれることが多い「太陽が燃えている」「SPARK」「楽園」「LOVE LOVE SHOW」「BURN」のようなロックでポップな楽曲は、主に中期以降の作品だ。

 

魅力[2]:表現のディープな世界観

そしてこうしたヒットソングでも濃厚にして強烈な要素が歌の核にあることも、このバンドの個性である。イエモンの世界は、本当にひと筋縄ではいかない。

例えばミディアム・バラードの名曲「JAM」は、1970年代にグラムロックという音楽表現を開拓したデヴィッド・ボウイの「5年間」や彼が関わったモット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」を彷彿とさせる曲調を持つ。

そして歌詞は、飛行機の墜落事故を報道するニュースキャスターが“乗客に日本人はいませんでした”と伝えるのを聞いた主人公が途方に暮れ、いっそうの孤独感のなか、愛する人に逢いたい思いを強めていく……というストーリーを持つ。

あまりに内包するものが大きいのに加え、曲自体が長尺であり、当初はレーベル側がシングル発売を迷ったほどだった。しかし「JAM」は1996年にいざリリースされると特大ヒットとなり、バンドを代表する楽曲として認知されたのである。

また、特に初期の作品にはエロスやデカダンが渦巻く表現が多く見受けられる。ライブでの「SUCK OF LIFE」では、吉井がギターソロを奏でるEMMAと危うい絡みを見せる場面が定着。

メジャー3作目の『jaguar hard pain 1944~1994』(1994年)は一大コンセプトアルバムで、当時の吉井は三島由紀夫への傾倒を示していた。音楽を通じて「かぶく(歌舞く)」ことを目指した彼は、このバンドでグラムロックの日本的な展開を遂行していたのだ。

ほかにも吉井自身の肉親をテーマにした曲があったり、『SICKS』(1997年)収録の「RAINBOW MAN」は往年の特撮ドラマ「レインボーマン」を枕にしていたり。『PUNCH DRUNKARD』(1998年)のタイトル曲といえる「パンチドランカー」は、名作マンガ「あしたのジョー」にも出てきた言葉だ。

恋、愛、性。生と死。家族。欲望、願望、希望。その下地に見える文学、テレビ、マンガ……それに、ロック。イエモンの作品に触れるときは、裏に隠された表現や秘められたメッセージを読み取ろうとすべきである。

 

魅力[3]: 4人の男たちが放つ強烈なフェロモン

そしてこのバンドの大きな魅力のひとつに、4人の男たちのルックスを挙げないわけにはいかない。

全員が長身で、実にフォトジェニック。ド派手なメイクをした吉井が妖艶な輝きを放っていたのも、彼らがロックでグラマラスなパフォーマンスを実現できたのも、その見映えの良さとフェロモンがあったからだ。

思えば4人のたたずまいは、90年代の時点でも、どこかクラシックロック的だった。だからこそ彼らにはロックスターらしい息吹を感じたのだ。

こうしたいくつもの要素が絡み合って生まれたTHE YELLOW MONKEYという奇跡は、ロックが大好きで、危なくて妖しい刺激や、あるいは生きている実感が欲しい者たちを激しく狂わせたり、また、その人生を救ったりもした。90年代、ロック少年少女は、イエモンに起死回生の夢を見たのだ。

そんな彼らも夢の終わりを体現するかのように、2001年1月、大阪と東京のドーム公演をもって活動を休止。2004年の夏には解散を発表した。4人はその後も活動を続け、時には同じステージに立つこともあった。そして歳を重ね、今やアラフィフと呼ばれる年齢に差しかかっている。ただ、それでも彼らそれぞれの「らしさ」は失われていないように思う。

そして、この2016年を迎えるまでも、イエモンを求める声がやむことはなかった。

2009年には秦 基博、KREVA、フジファブリック、9mm Parabellum Bulletといったアーティストたちによるトリビュート盤『THIS IS FOR YOU』が、2010年には『COMPLETE SICKS』が、2013年にはベスト盤『イエモン -FAN’S BEST SELECTION-』や、劇場版「パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRANKARD TOUR THE MOVIE」が作られている。

トリビュート盤が好評なのを知った吉井が、活動していた当時は目につかなかった男性からの支持が大きくてうれしく感じると話してくれたこともあった。また、こうしたリリースにあたってのイベントなどでメンバーたちが公に姿を見せる機会もあった。

ちなみに吉井が昨年末にリリースした自身2作目のカバー盤『ヨジー・カズボーン ~裏切リノ街~』は、最初はジャパメタがテーマで、4人がイエモン以前に在籍したバンドの曲を歌うことも構想したという。

また、彼の12月のライブが、ソロになった2003年以降の活動を総決算するような内容だったのは、この2016年からはバンドとしての動きが見据えられていたからなのかと、今となっては思える。

時は2016年、くしくもサル年。THE YELLOW MONKEYが再びステージに戻ってくる! すっかり大人になったであろう4人は、そこでどんなスマイルを見せてくれるだろうか。

TEXT BY 青木 優

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