「尾崎豊さんとは、“藤沢さん、今度ゆっくり話がしたいんですけど”というのが最後の会話になりました」/音楽ライター・藤沢映子×「OZAKI・50」編集者・細川真平_対談

150627-YK-170101

’83年にデビューし、若者たちから絶大な支持を得ながらも、’92年に突然この世を去った伝説のロッカー、尾崎豊。彼が生きていたら50歳を迎える今年の11月29日、その魅力により深く触れることができるボックスセット「OZAKI・50」が発売される。今回は、そのボックスセットに入るインタビューCD 「TEENAGE BLUE」に収録された取材を行った音楽ライター、藤沢映子さんと、このボックスセットの編集者、細川真平さんとの対談をお送りします。

構成&撮影:編集部


私のインタビューって、尾崎豊というアーティストの人間性を知りたい、というところから始まっているので

細川真平 「OZAKI・50」に入っているインタビューCD「TEENAGE BLUE」は、尾崎さんが10代のときから20代になってすぐの’85年の12月までに藤沢さんが行ったインタビューが録音された20本くらいあるテープを全部聞かせていただいて、その中からアーティストとしての彼の考え方やその姿勢が出ている部分を抜粋して約1時間くらいの音源にしたものです。藤沢さんには編集したものをぜひお聞きくださいとお願いしていたんですけど、どうですか、お聞きいただけましたか?

藤沢映子 いいえ。とにかくインタビューをした直後から現在に至るまで一度も聞いていないんですよ。彼の生々しい声は、いまだに冷静には聞けないところがあって。しかも、さっきアーティスティックな部分をとおっしゃってましたけど、そういうところ少なかったでしょ?(笑)私のインタビューって非常に世間話が多くて。尾崎豊というアーティストの人間性を知りたい、というところから始まっているので。

細川 確かに世間話は多かったですけど(笑)、その世間話の中に尾崎さんのエッセンスというか、ピュアな部分や考え方の部分が滲み出てきているんですよね。あと、藤沢さんのことを親戚のお姉さんぐらいの感じで(笑)、すごく慕っているのがよくわかりました。尾崎さんにとって藤沢さんとのインタビューというのは、とても癒される時間だったんじゃないでしょうか。

藤沢 そこにいるのは、かまえてない、かっこつけてない尾崎豊ですよね。パブリック・イメージとは違うかもしれない。インタビュー中には、カリスマ的なイメージはほとんどないですからね。でも、今回そういう雰囲気を聞いていただけるのは、いいことだと思います。

細川 今回のインタビュー音源は、’84年1月30日の取材が一番古いものなんですけど、その前にテープに録っていない最初のインタビューがあったんですよね。そのときの尾崎さんの印象はどうでしたか?

藤沢 それは今でも、(頭に)映像が出てくる。当時流行っていたストーン・ウォッシュの革ジャンを着て、夜なのにサングラス、顔は写真とは違っていてむくれて目も腫れていた。しかも手に包帯を巻いていて、両ポケットに手を突っ込んで。そんな格好で部屋に入ってきたんだけども、すぐにサングラスと帽子を取って“おはようございます”って最敬礼したの。あまりにも礼儀正しくてびっくりした。

細川 そのときはどんな会話をしたんですか? 包帯の話とか?(笑)

藤沢 包帯の話はしましたよ。“いや、ちょっとぶつけて”みたいに言ってた。どう考えたって喧嘩したんじゃないかーって(笑)。

細川 ’84年8月4日 に行われた日比谷野外音楽堂での反核ライブ・イベント“アトミック・カフェ”で、照明台から飛び降りたときの話を聞いたインタビューがあるじゃないですか? そのときの尾崎さんは割と明るくて、“飛び降りちゃったよー”って感じで印象的でした。もっと深刻な感じかと思っていたので……。

藤沢 ああ、三宿の自衛隊病院でのインタビューですね。“てへへへへっ”って感じの尾崎でしたよね。病院では、看護師さんたちがみんな自衛隊員だから、尾崎の頭を“こら! あなたなにやってんの! ぱしっ!”みたいに叩いてすごかったんですよ。“みんな柔道とかやっているから怖いっすよー”って言ってた(笑)。

枠にはめられることに対して、僕はそこだけじゃないんだっていうのを、すごく言いたくてしょうがなかったんじゃないかな

細川 ずっと(インタビュー音源を)聞いていると、最初はあどけないけれど、だんだん口調が変わっていきますよね。ちょっと気取ってみてるっていうか。それは、アーティストとしての成長だと受け取っていましたか?

藤沢 自分の発言に神経質になり始めているなと思いましたね。最初の半年くらいは、しゃべってもしゃべっても小さな記事にしかならない。でも、自分のインタビューがバーンと出るようになり、コンサートにそれなりに人が入るようになった頃から、自分の発言に気をつけるようになった。こう言ったらこう取られる。こう取られているから、じゃ、どう言えばいいんだろうって。そういう話はしていました。自分の発言が持つ影響力というものを意識し始めてましたね。

細川 今回のCDにも入っていますけど、誤解されないように気を付けているからなのか、ああ言ってみたり、こう言ってみたりと、ひとつのことをすごくいろいろな表現で語っていますよね。

藤沢 変にガッと持ち上げられたので、それに相応しいアーティストにならないと、という気持ちがあったような気がします。

細川 尾崎さんの発言って、記事にまとめるのは難しかったんじゃないですか? 決まりきったことを言うんじゃなくて、あっちいったりこっちいったり……でも芯はある、でもその芯になかなか行き着かない、といった感じで。

藤沢 Q&A形式にしちゃうとわかりにくいので、間に私の地の文を入れないと原稿が出来なかったですね。彼も単なるQ&A形式じゃなくて私の文章が入っているのを好んでいた。しかも尾崎は、例えば“10代の代弁者”とかいう枠にはめるような言葉が嫌いだったんです。私の書いたものは、尾崎像を捉え切れなくて、絶えず悩んで、絶えず迷っている原稿なんですよ。尾崎からも“藤沢さんの記事は結論づけてないのが好きだ”と、後半の方に言われたんだけど。もっと早く言ってよって(笑)。あとファン目線から多分に見ているというのもあって、そこも含めて気に入られていたんだと思います。

細川 たしかに“10代の教祖”というふうに捉えられていたのは、本人にとってうれしい面もあったかもしれないけど、反面それで悩んだり苦しんだりしたってこともあったような気がするんですよね。

藤沢 枠にはめられることに対して、自分はこれだけしかできないということなのかとか、いや僕はそこだけじゃないんだっていうのを、すごく言いたくてしょうがなかったんじゃないかな。今だったら、“10代の子でも、やがて20代になり、30代になる。そしてそのときも、あなたの歌は残っているんだよ“とか、“いつの時代も10代が通り過ぎるところに、あなたはいるんだよ”って言ってあげられるのに……。あの当時は自分もそんな余裕がなかったし、尾崎豊を受け止めるので精一杯だったから。

細川 藤沢さんは、尾崎さんがデビューしてから、ニューヨークに行って活動を休止するまでの期間、インタビューをされたわけですが、その後、尾崎さんが亡くなるまでの間は、どういうふうに彼を見ていたんですか?

藤沢 ライブは必ず観に行っていました。楽屋にも行っていたし。取材がなかっただけで話もしているし、関係が全然途切れていたわけではないんです。でも、そのときの尾崎の活動自体は、どんどん難しい歌をうたうようになっていて……。

細川 これはとても大雑把な見方かもしれませんが、10代のときは戦う相手が先生や学校と明確だったけど、学校も辞めて20歳も越えて結婚をして子供も出来て……そうすると、あまりにも大きな社会のどの部分と戦えばいいのか、戦う相手がわからなくて混乱してしまった。そういう見方もありますよね。

藤沢 完全にそうだと思っています。10代のときも、学校を辞めて仕事を始めたら、先生には先生の立場があるのがわかってきたというような話もしていたから、すごく早い時期にそんな混乱が始まっていたんじゃないでしょうか。何を歌っていいかわからなくなってニューヨークに行った。ニューヨークに行けば何かが見えると思っていたし、実験してみなきゃ気がすまないという感じでした。

細川 20歳を越えても、昔の歌をもう一回焼き直すようなことをしていけば、なんとなく生き延びていけたかもしれないんだけど、尾崎さんは常にリアルな自分とリアルな敵を求めてましたよね。

藤沢 そうなると自分がリアルに体験しなくちゃいけなくなる。実際には、みんな体験したことだけを歌っているわけではないじゃないですか。でも彼は、リアルに体験しないと歌にできないって自分を苦しめていたような気がします。

細川 尾崎さんの場合、そうした苦しみや、ネガティブな感情もパワーにしていた面があるような気がしますね。

藤沢 それは絶対ありますね。原動力だったというか。でも最初のアルバムの頃は、誰にでもあるような出来事を、才能だけであんなに素晴らしい作品にすることができた。それは本当にすごいことだったと思います。

全然、想像つかないですよ。生きていることが想像できない

細川 生きていたら尾崎さんは今年50歳になりますけど、どんな50歳だったと思いますか?

藤沢 全然、想像つかないですよ。生きていることが想像できない。アーティストとしてもそんなに長続きしてないような気もします。堕落していった気もするし……でも、手を差し伸べるスタッフもすごくたくさんいたはずだから、大丈夫だったのかもしれないですけど。

細川 今回のインタビューCDの中で尾崎さんが言ってます、“こんなことばかり考えているんだったら、お坊さんになって歌ったほうがいいのかな”と(笑)。それは冗談でしょうけど、でもひょっとしたら、お坊さんとか哲学者とか、そういう方向にいったかもしれないとは思いますね。

藤沢 かもしれないですね。瀬戸内寂聴さんみたいな。二皮も三皮も剥けたすごい人になったかもしれないし、そうあってほしかったけど……。でもそうはならなかったし、それで幸せだったような気もしますけどね。

細川 最後に尾崎さんに会ったのはいつですか?

藤沢 バース・ツアーのとき、どこかの会場の楽屋ででした。あまり話は出来なかったんですけど、帰り際に、“藤沢さん、今度ゆっくり話しがしたいんですけど、いいですか?”って尾崎が言うから、“いいよ、いつでも連絡ちょうだい”って。それが最後の会話になりましたね。

 

発売情報

尾崎豊『尾崎 豊『OZAKI・50』』
~尾崎豊生誕50周年記念プレミアムトレジャーボックス~

150612=YK=052901
コンサート・チケット、ギター・ピック、直筆ノートの一部、手紙をはじめとした貴重な品々のレプリカを収納したトレジャーブック、未発表写真を含む写真集、10代のインタビュー肉声が聴けるCD、厳選された1点の写真を使用したオリジナルプリントをセットにした豪華ボックスセットです。
監修は尾崎豊を世に送り出した音楽プロデューサー、須藤 晃氏。写真・デザインは尾崎豊の全作品のアートワークを手がけてきた田島照久氏が担当。

【仕様】

下記4アイテム収納豪華特製ケース付き

(1) トレジャーブック 『SCRAP ALLEY』
菊六切判(天地260×左右240)/オール・カラー/74ページ
ギター・ピック、コンサート・チケット、直筆ノート、直筆セットリスト、直筆手紙など貴重な品々のレプリカ=お宝(トレジャー)を本から取り出せる特別仕様。
国内男性アーティストのトレジャーブックは尾崎豊が初となる。

(2) 写真集 『ALTERNATIVE』
菊六切判(天地260×左右240)/オール・カラー/204ページ
田島照久氏の写真・装丁による写真集。未発表写真も含む。

(3) インタビューCD 『TEENAGE BLUE』
尾崎豊10代の肉声=初公開インタビュー音源を収録/収録時間約70分
旧CBS・ソニー出版(現エムオン・エンタテインメント)発刊音楽雑誌『PATi・PATi』『GB』(共に休刊)用取材音源から精選して収録。インタビュアーは音楽ライター、藤沢映子氏。

(4) オリジナルプリント
田島照久氏が撮影した膨大な写真の中から厳選した初出1点を使用したオリジナルプリント。サイズ=B5。

*仕様・内容は全て予定です。変更になる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

【価格】

30,000円(税込)+送料510円

【お届け】

2015年11月29日(日)前後を予定
(2015年11月29日は尾崎豊の50回目の誕生日です)

【販売方法】

Sony Music Shopサイトによる完全予約限定販売

http://www.sonymusicshop.jp/ozaki50/

【予約期間】

2015年4月24日(金)~7月31日(金)

【早期予約特典】

お申し込み先着5000名様にA2オリジナルポスター(予定)を進呈

150612-YK-125401

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

M-ON! MUSICの最新情報をお届けします。

この記事に関するキーワード

この記事を書いた人