朝ドラ「べっぴんさん」劇伴作家に聞いた。意外と知らない映画・ドラマ音楽の作り方【世武裕子インタビュー】

日本の朝を彩るNHKの朝ドラ「べっぴんさん」の音楽はこうやって作られていた──。ときにストーリーや登場人物に寄り添い、ときに視覚以上に雄弁に語る映画・ドラマ音楽の世界を、シンガーソングライターであり劇伴作曲家でもある世武裕子に聞いた。

C-20170213-MK-1400世武裕子(せぶ・ひろこ)/パリ・エコールノルマル音楽院映画音楽学科で劇伴作曲家 ガブリエル・ヤレドに師事し、主席で卒業。帰国後、シンガーソングライター・sébuhirokoとして活動する傍ら、劇伴作曲家として映画「ストロボ・エッジ」「オオカミ少女と黒王子」「お父さんと伊藤さん」、ドラマ「べっぴんさん」「恋仲」「好きな人がいること」などの劇伴を担当している。2016年末にアルバム「L/GB」をリリースし、2月15日(水)にブルーノート東京での公演が控える。連載「みんなの映画部」のレギュラー部員のひとり。

「べっぴんさん」は、その時代、その舞台に合わせて音色を考える楽しさがある

──数々の映画音楽やCM曲を手がけていらっしゃる世武さん。現在はドラマ「べっぴんさん」の音楽作家としても注目を浴びていますが、ドラマと映画とでは劇伴の作り方に違いはあるのですか?

世武 結構違います。テレビドラマは基本的に、劇伴作家にオファーが来る段階では脚本や映像素材がありません。なので選曲者からの「楽しい曲を何曲、悲しい曲・泣きの曲をいくつ」という、ざっくりとしたリクエストに対し、映像がない状態で“楽しい”のさじ加減を推し量りながら作っていきます。

一方の映画の場合はすでに映像が撮ってあって、ピクチャーロック(編集して映像の並びを決めること)していることが多いので、それを観ながら監督やプロデューサーと、どこにどんな音楽を付けるのか話し合いながら作っていきます。映画は完全に映像に当て振りする感じですね。

──その点では、テレビドラマは具体的なイメージを掴みづらいのが難しいところですね。

世武 正直大変です(笑)。でも自分が想像していたものとは違う使い方をしてくださることもあるので「こういう風に使いたかったんだ」とか「こんな雰囲気の曲が求められているんだ」という発見があるのは面白いです。

もっと面白いのは、「べっぴんさん」もそうですが朝ドラは描く歴史が長いですよね。主人公の子供時代から年齢を重ねていく様子を追っていくので、時代がどんどん変わっていくのに伴って音楽も最初にすべて揃えるのではなく、段階的に作っていくんです。だからシンセひとつにしても、その時代、その舞台に合わせて音色を考える楽しさがあります。

──「べっぴんさん」には主人公をはじめ、キャラクターのテーマ曲というものがありますが、それはどう音にしていくのですか?

世武 例えば高良健吾さん演じる野上 潔のテーマを作ったときは、ドラマ側から「映画『仁義なき戦い』のようなイメージで」とリクエストをいただいたんですが、私が知っている高良健吾さんが「仁義なき戦い」?? って、ちょっと混乱することがありました(笑)。そんなときは自分が持っている印象は払拭して、何も考えずとにかく「仁義なき戦い」のイメージに寄せて作ってみて成功しましたね。

それから坂東すみれ(芳根京子)・野上ゆり(蓮佛美沙子)姉妹と、その母、坂東はな(菅野美穂)の母娘関係がドラマの大きな軸になっているので、親子で受け継いでいく母の強さを深く考えながら、それぞれのテーマ曲を作っていきました。

ただ、そこに作曲者自身が表現したいことと、ドラマ側や視聴者が求める音楽との間に違いが生じてしまうことがあって。例えば「母の子守歌」というトラックを作ったとき、私は母娘に上から光が注いでいるような、俯瞰で見つめているイメージで最初は作っていたんですが、選曲者が欲しかったのは地上で生きる母と子そのものの視点を表した音楽だったんです。そういう視点の違いを埋める作業に悩んだことはありました。

 

「普通ってなんだろう?」というジレンマと向き合う

──人それぞれの感情を音にすることが、劇伴の最も難しいところ。

世武 自分の経験値と、相手の経験の基準がどれだけ違うか、という話になってくるので、そこで作家の想像力が試されるんだと思います。特にテレビドラマは絶対という映像がないので“絶望”ひとつ取っても、私が作っていった曲を聴いてもらって「どん引きするぐらい暗いわ!」って言われると、あ、そこまでの絶望じゃないんだな、ということになるわけです(笑)。大勢多数にとっての“普通”を探り当てる作業は簡単ではないですね。

──そのすり合わせはどうするのですか?

世武 例えば恋愛モノの作品なら、街にくり出して行って「このぐらい盛り上がっているカップルの背景で音楽が流れるとしたら、こういうメロディかな」と想像する。自分の感性・想像の世界は、外ではまったくアテにならないので、そうやって想像力を膨らませる努力をする、自分自身が標準値に限りなく近い生活をしないとダメなんです。

さらに私の場合、「普通ってなんだろう?」というジレンマと向き合いながら、自分の感情の振り幅をどれだけ狭めて標準値に近づけていくかの作業になりますね。

ただ、自分が劇伴作家として向いているなと思うところは、作曲技術ではなくて察知能力の速さなんですよ。特に映像や詳しい資料がなくても、パッと音のイメージが浮かんで音にできる。それをスタッフの方もいちばん使いやすいと思ってくれているんだと思います。作り始めてからが速いんです。

──その察知能力を研ぎ澄ますために心がけていることはありますか?

世武 やはり物事には締め切りというものがあるので、そこへめがけて自分の気分を持っていってあげることが普段の生活でもっとも気をつけていることです。「その曲を書くのに何が必要だろうか」ということよりも、曲が書ける状態に自分を持っていってあげることがいちばん大事。そこで気持ちが揺さぶられてしまうと困るので、人と会うのがリスキーだと思ったら会わないですし、読みたい本も観たい映画も我慢します。

安全パイのものにしか触れなくなってしまうので、創作期間中になればなるほど、すごくクリエイティブではない生活になってしまいますね(笑)。

 

右向け右、な作品を世に出してしまったら視聴者の感性も育たないし、音楽に対して無思考になってしまう

──そんな世武さんが理想とする劇伴とはどんなものですか?

世武 難しいですね……。私がジョン・ウィリアムズが好きな理由は、どんな作品でもメロディが素晴らしいこと。曲それぞれにテーマがあって、映画を観ない人でも音楽だけは知っている人も多いですよね。それから「ゴジラ」と大河ドラマのサントラを担当できたら、もう日本にいる意味はないと思っています(笑)。

日本の作曲家の中では「ゴジラ」の伊福部 昭さんがいちばん好きで、音楽室の滝廉太郎の写真の隣に飾られるなら、次は絶対に伊福部さんだと思っているくらいです。ああいう劇伴を作れる人は80年代~90年代にはたくさんいましたけど、今は本当に少なくなっていると思います。

──それはなぜでしょう?

世武 良くも悪くも現代はテクノロジーが発達して、音楽ソフトさえあれば宅録である程度映画っぽい、なんとなくカッコいい音楽ができてしまうからです。そこが今の劇伴に対して私が「どうやねん」って感じてしまうところですね。

ピアノだけで曲を書こうと思ったら、やっぱりちゃんと旋律を書かざるを得ないですから。主題歌が最後にドーンとあれば、あとはBGMでいいという風潮になってしまうのは悲しいです。

──なんとなくで劇伴は成り立たないと。

世武 なんとなくで作ろうと思えばできてしまうから、なおさら作ってはダメなんです。劇伴作家がなんとなくで映画音楽を作って「これ、カッコいいですよね? みんなわかりますよね?」という右向け右、のような作品を世に出してしまったら視聴者の感性も育たないし、音楽に対して無思考になってしまう。それは作っている側の責任ですよね。

だから私は、劇伴にしても自分のオリジナル作品にしても「こうすればみんなのテンションが上がるぞ?」というような、必ず耳を引き付ける躍動感やフックになる部分を、どんな曲にも仕込むことを意識するようにしています。

──sébuhiroko名義のオリジナルアルバム『L/GB』を昨年リリースし、2月15日にはブルーノート東京でのライブを控えていますが、今度はそこで世武さんの音楽を肌で感じることができますね。

世武 今の時代にはちょっとない、最初から緊張感を与えるライブになるかもしれません(笑)。いつもみんなで和気あいあい、とにかく楽しい! というものとは違う、エキサイティングなライブをする特殊なミュージシャンは少ないので、そういうところを若干こじ開けられたらいいなと思っています。

世武裕子公式サイト http://sebuhiroko.com/

TEXT BY 恒川めぐみ
(C)NHK

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